福知山線(尼崎~福知山間)H25.1.6他
福知山線は川辺馬車鉄道が1891年に尼崎~伊丹間に馬車鉄道を開業したのが始まりで、その後摂津鉄道と改名し1893年に軽便鉄道に改築した後に池田まで延伸しました。その後阪鶴鉄道に譲渡後、1904年には福知山まで繋がりました。1907年に国有化後、しばらく阪鶴線と呼ばれていましたが、1912年に福知山線と改称されました。

大阪と山陰地方を結ぶ路線でしたが、線路改良や電化などの近代化に置き去りにされた感があり、1961年から設定された特急「まつかぜ」は路線の問題上早く走れず、1972年に新設された特急「はまかぜ」は時間短縮を理由に姫路経由に変更されてしまいました。車両も近隣の路線とは違いDD51ディーゼル車が旧型客車を引っ張るという状態が続きました。

福知山線が現在のアーバンネットワーク路線の一つに挙げられるようにまでなったのは、1986年の宝塚~新三田間の複線化とトンネルによる路線短縮、福知山までの全線電化でした。三田周辺がベッドタウンとして急成長することで沿線乗客が増えたことに対処するために近代化を急いだのですが、国鉄最後のダイヤ改正である1986年11月から電車で営業開始・特急「北近畿」の運転が開始され、福知山線は一気に生まれ変わったのでした。

それから月日は流れ、2011年に特急「北近畿」は「こうのとり」と改称され、その後も使用されていた183系が平成25年(2013年)3月で381系に変わることとなりました。正直183系と381系の見た目の違いが今も分からないのですが、良い機会だと思い撮影に出かけました。比較的実家から近く、鉄道撮影の練習に三田まで行っていた時期もあるくらいなので、あまり目新しさはなかったですが、消えゆく国鉄色特急をしっかりカメラに収めようとしました。以前から訪れていた三田~道場間と丹波大山~下滝間で撮影した当日分と、以前に撮影した分を混ぜて掲載します。なお、最後の2枚は、山陰本線内での撮影(養父・和田山)となります。