今熊野観音寺(京都市東山区)R3.11.21
今熊野観音寺は京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の寺院であり、西国三十三ヶ所霊場の第15番札所にもなっています。大同2年(807年)に空海が十一面観音菩薩像を安置したのが始まりと言われており、弘仁3年(812年)には嵯峨天皇からの支援により諸堂を造営し、天長年間(824~833年)に完成したとされています。その後更に広域の伽藍の造営が図られ、斉衡2年(855年)に「法輪寺」として完成されました。

平安時代後期には紀伊国熊野の熊野三山に対してこの地を「今熊野」と称し、寺名も「東山観音寺」と呼ばれるようになりました。その後南北朝時代の騒乱や応仁の乱等で境内は荒廃するもののその都度復興し、天正8年(1580年)に本格的な復興をなされて現在に至っています。寺は「ボケ封じ」「頭痛を直す」御利益があるとして有名です。

寺としては泉涌寺の塔頭にあたり、泉涌寺の境内の一番北側にある寺院ですが、細い車道で寺方面から外れた場所に入口があるため、全く別の寺としての印象があります。境内は広く、入口に至るまでにも細い車道を暫く歩く必要がありますが、その車道沿いは既に多くの紅葉を見ることが出来ます。境内に入ってすぐ左側に、清水寺の舞台のような「大講堂」を見上げる場所に着きますが、この辺りの紅葉も素晴らしいものがありました。大講堂の舞台から見たら綺麗かもと思い、上まで上がるも舞台側は通行禁止になっていたのが残念でした。

「本堂」「地蔵堂」「大師堂」に囲まれた境内の階段下には「子護大師」像がありますが、子供3人が強面の大師にすがる姿が怖かったものの、この付近の紅葉も綺麗でした。大師堂の裏になる東側には西国三十三ヶ所の各霊場の各本尊を石仏として安置し、巡拝ができる「今熊野西国霊場」があります。それぞれの祠は綺麗なものから朽ちているものまで差があるのが気がかりで、その霊場は林道のように坂道を上る必要があります。未舗装で若干足場の悪い道を上ると、一番上には「医聖堂」という多宝塔があります。但し、この霊場と医聖堂付近には紅葉は全くなく、医聖堂付近からの見晴らしもそれほど綺麗ではなかったので、無理して上る必要はないと思います。

境内が広い割に建物は「大講堂」以外に大きな建物はなく、比較的地味な寺院とのイメージでしたが、境内は紅葉の名所として知られているだけあり(私は訪れてから「紅葉の名所」だと知りましたが)、とても綺麗な紅葉が多くあったので訪れて満足しました。