城東貨物線(平野~吹田貨物T間)H23~
城東貨物線は、東海道本線の吹田貨物ターミナル駅から関西本線の平野駅に至る貨物支線です。東海道本線と関西本線の間の貨物輸送を大阪環状線を使用して行うことが不便であることから、貨物輸送を大阪環状線から分離するために、1925年10月着工・1939年10月に全線が開通しました。1952年には沿線住民が城東貨物線に客車運行を希望したものの、現在のようにおおさか東線として全線開業までは2019年まで待つことになります。

城東貨物線時代は単線かつ非電化区間で、最終時期にはDD51やDE10といった国鉄時代のディーゼル車が貨物を引っ張っていましたが、既に両車両は数少なくなっていたので貴重な姿でした。また城東貨物線の風物詩といえる赤川仮橋(地域住民のために鉄橋の余白部分に木を渡した歩道を設置していました)は、撮影名所として全国的に有名でした。

初めて赤川仮橋を訪れたのは偶然でした。まだ鉄道撮影を始める前の20歳の学生時代に、新大阪にある校舎からマラソン練習として夜の淀川河川敷をおもむろに走った際に、暗がりに浮かぶ夜の赤川仮橋を初めて見ました。昭和初期を思わせる木製のボロ橋である上に、橋上に点在する電灯付近以外は真っ暗で、渡ったらこの世に戻ってこれないのではと真剣に考えるほどに衝撃的でした。その後もまた訪れてみたいと思っていましたが、まさか10年後に赤川仮橋のすぐ近くに住むようになるとは思いませんでした。近所に住んでからは、ランニングコースや淡路方面に自転車で行く時等に赤川仮橋は大変重宝しました。


おおさか東線開業に向けての工事で、赤川仮橋はなくなり、線路は電化かつ複線となり、DD51等の車両も消えましたが、消えるまでに慌てて撮影した写真を掲載します。路線が街中にあるため、線路を見下ろせるマンションに入っては不審者扱いされたことも複数回ありますが、今では大事な記録として撮影して良かったと思っています。

なお、最後の一枚は、おおさか東線開通後の赤川鉄橋を走る201系です。