北野天満宮①(京都市上京区)
H30.3.11・R6.2.18
北野天満宮は京都市上京区にあり、天暦元年(947年)に菅原道真の祟りを弔うために神宮寺の名で造営したのが始まりです。その後永延元年(987年)に北野天満宮天神として名を改め、その後室町時代まで繁栄しました。一度文安元年(1444年)に戦で焼け落ちたうえで衰退しますが、慶長10年(1605年)には豊臣家により再建され、現在の社殿が造営されました。その後明治時代の神仏分離令により規模を縮小したり、明治4年(1871年)に皇族との繋がりがない理由で「北野神社」と改名された時期もありましたが、現在も学問の神様として多くの参拝者が訪れています。

境内は本殿・石の間・拝殿・楽の間が国宝に指定されている他、多くの重要文化財があります。また菅原道真が梅をこよなく愛していたことから、北野天満宮の神紋となり、境内には2万坪の敷地に50種類1500本の梅が植えられています。山門から本殿に至る参道に数多くの梅があり、種類も豊富です。

梅を観覧するための有料区域は3つに分かれており、楼門横の「船出の庭」、一番メインの梅苑「花の庭」、「船出の庭」の裏にある「史跡 御土居もみじ苑」とがあります。まず、天満宮入口である楼門に向かう参道を歩くと、左側の垣根の向こうにある「花の庭」を、垣根の上からのぞき見ることが出来ます。次に楼門をくぐって左側に有料区域入口がありますが、その付近から「船出の庭」をのぞき見ることができます。「もみじ苑」は「船出の庭」の背後にあるためのぞき見ることはできません。

先に書くと、「もみじ苑」にも梅園はありますが、まだ幼い梅の木が並んでいる状態なので、正直撮影にはまだ物足りない部分があります。平成30年に訪れたときは、「船出の庭」は満開だったものの「花の庭」は咲き始め状態とかなり寂しい状態でした。令和6年に訪れたときは、「船出の庭」「花の庭」も見頃に近い状態でした。

北野天満宮については2ページに分けて掲載します。