呉線(海田市~三原間)H15.2.8
呉線は広島と軍港である呉を結ぶ必要から、呉~海田市間が1903年に官営で開業しています。一時期、山陽鉄道が運営していたものの、1906年に再び国有化になっています。逆に呉~三原間は開業が遅く、三呉線として1935年に全通しました。当時は軍港としての呉の重要性から、東京直通の急行が頻繁に走りました。複線化も計画されたものの、太平洋戦争の資材不足から凍結され、現在も単線の路線のままです。

内陸を並走する山陰本線の同区間は、「セノハチ」と呼ばれる山陽本線最大の連続急勾配区間があるため、長らく山陽本線のバイパスとしての機能がありましたが、山陽新幹線開業により、その役目が無くなり、更にそれまで呉線を走っていた優等列車も削減されました。しかし同時に沿線の急速な都市化もあり、現在は通勤・通学客の輸送量が多く、全線単線でありながら途中駅の殆どが離合可能駅となっています。

沿線は終始瀬戸内海を望む路線となっており、特に広~三原間は「瀬戸内さざなみ線」の愛称も付いています。運行形態は、広~三原間は各駅停車のみ1時間に1本程度、広~海田市間は1時間に2本程度の上、快速「安芸路ライナー」も運行されています。

私が初めて呉線を訪れたのは、旅を初めて間もなくの平成4年12月でした。当時のガイドブックに、呉市の北にある「灰ヶ峰」から望む呉市街地の写真が綺麗で、一度見てみたいと思い、呉駅で下車しました。しかしよく考えたら登山のつもりもないのに灰ヶ峰まで行けるはずもなく、タクシー使用も諦めて、駅前をぶらぶらしただけでそのまま三原まで各駅停車に揺られただけでした。当時の車窓も全く覚えていません。でもその後予定外に立ち寄った三原市内が良い風景だったので、まだ救われた思いをしました。

再度訪れたのは、広島方面に用事のため訪れたのがきっかけで、早朝に三原市内を通過したついでに、ガイドブックにあった忠海~安芸幸崎間の撮影をしてみました。休日の早朝でも比較的列車の本数があったのは意外で、早朝のみ天気が悪かったのが残念ですが、その分ヘッドライトが水面に写る光景を撮影することができました。当時はまだ大阪でも103系が多く走っており、呉線の103系を見て「大和路線みたいで新鮮味がないなぁ」と思ってしまいましたが、今や貴重な車両となった「103系と海」との組み合わせを撮影できて良かったと思いました。