妙顕寺(京都市上京区)R4.4.9
  
妙顕寺は元享元年(1321年)に日像が、日蓮宗で初となる京都での本格的な寺院として上京区に建立したのが始まりです。暦応4年(1341年)に下京区に移転後、嘉慶元年(1387年)に延暦寺の衆徒により伽藍が破壊され、今の福井県小浜市に移転しました。明徳4年(1393年)に足利義満の斡旋により中京区に伽藍を再建したものの、応永20年(1536年)には再び比叡山の衆徒により破壊され、再建したものの天文5年(1536年)には天文法華の乱で伽藍を焼失し、今度は大阪府堺市に移転しました。天文17年には再び中京区に移転し、天正12年(1584年)に羽柴秀吉の命により現在地に移転となり、現在に至っています。なお、境内の建物の多くは、天明8年(1788年)の「天明の大火」で焼失後、再建されたものです。

妙顕寺は地下鉄今出川駅と鞍馬口駅の間にあり、更に西に進んだ場所にあるため、若干不便です。寺は由緒あるもので、現在も塔頭が9つある立派な寺でありながら、意外と一般の人には存在が薄く、当日訪れたときも殆ど人はいませんでした。しかし細い車道沿いにある入口に着くと、3本のシダレザクラが寺を彩る姿は、流石日蓮宗の大本山だと感じました。正面にはピンクと白のシダレザクラがあり、殺風景な路地の中に一部分だけ華やかに彩っていました。中はそれほど広くは感じませんでしたが、参道を進むと正面には立派な大本堂があり、右側には三菩薩堂や鬼子母神堂等古く多い建物が並んでいます。

大本堂の左手には鐘楼があり、その前には1本だけシダレザクラがありました。小さいながらも花付きがよく、背後の建物の暗い部分をバックに何枚か撮影をしましたが、何度か強風が吹いたので散りゆく花びらを狙った割にはうまく撮影出来ませんでした。更に左奥に続く参道を進むと、方丈と大玄関があり、その奥には宝物殿や書院・複数の大きな庭園などがありますが、入口の方丈と大玄関の前にも入口を挟む形で二つのシダレザクラがあります。

妙顕寺にあるシダレザクラはどれも高さが5m以下の小さめの木ばかりですが、枝ぶりが良く、手入れがしっかりされていることが分かります。これから更なる成長が楽しみな場所です。