大村線(早岐~諫早間)H15.12.21
大村線は明治31年(1989年)に九州鉄道が早岐~大村間を長崎線として開業したのが始まりで、同年には鳥栖~長崎間が全通しました。明治40年(1907年)に国有化後、2年後には鳥栖~早岐~長崎間が長崎本線と名乗るようになりました。昭和9年(1934年)に現在の長崎本線のルートが完成し、早岐~諫早間を大村線と称し、現在の形となりました。

JR線として唯一長崎県内のみを走る短いルートではありますが、沿線人口が多く生活路線となっており、県内の重要路線でもあります。各駅停車と快速はほぼ全て早岐~諫早間を走り抜ける運用になっており、間隔も30分から1時間に1本の運転が確保されています。早岐~ハウステンボス間は特急「ハウステンボス」が入線することもあり電化路線となっていますが、その先の諫早までは非電化区間のままです。1999年には佐世保~長崎間を大村線経由で結ぶ特急「シーボルト」が非電化区間を走りましたが、快速との所要時間が変わらないことから利用者が増えず、結局2003年に廃止となってからは大村線の非電化区間での優等列車の運行は無くなりました。

大村線を訪れたのは、2日間だけの強行撮影の中で、日程の中でも最後の場所でした。既に夕方になっていて、夜には博多発の夜行バスに乗る必要があったので、1回しか撮影チャンスがありませんでした。日没前ということで、逆に夕焼けを狙った写真を撮影しようと、彼杵~川棚間で撮影をしました。大村線沿線の殆どが大村湾に沿って走ることから、西に沈む太陽を海と共に撮影出来る利点がありました。線路脇の堤防を浜辺に降りて撮影しましたが、方向が微妙だったため、車両の前部が影になってしまいました。しかし広い海を夕焼けが染めていく風景と列車とを一緒に撮影できる場所は私の地元にはあまりなく、貴重な写真が撮影出来たと思います。

1枚だけでは寂しいので、平成8年に長崎本線内で撮影した「ハウステンボス(後ろ4両は「みどり」です)」を掲載しておきます。