新疋田(福井県敦賀市)H8~15年頃
新疋田駅は北陸本線の駅で、もう一つ北の駅の敦賀駅まで行くと日本海に出る、福井県と滋賀県との県境付近にあります。琵琶湖を越えて日本海に出るまでの峠にこの駅がありますが、この辺りは昔は別ルートの線があり、現ルート完成後も別路線として営業していた時期がありました。

1882(明治15)年に開通した当時は、現在の国道8号線沿いのルートではなく、国道365号線から西に折れ、柳ケ瀬トンネルを抜けて疋田に行くルートでした。しかし当時はまだ日本の鉄道黎明期で、路線の脆弱さと地域条件の厳しさで多々問題が発生しました。柳ケ瀬トンネルが急こう配すぎて鉄道が走れなくなったり、洪水・雪崩が頻繁に発生し、1928(昭和3)年には同トンネル内で停止してしまった機関車の排煙で乗員が窒息し、5名が死亡する事故が起こりました。

1938(昭和13年)に新ルート着工となるも、戦争等の予算不足で何度も中止し、1961(昭和32)年になってやっと新ルートの深坂トンネルが出来、新線での営業が始まった後も、旧線は木ノ本~疋田間の「柳ヶ瀬線」として存続しました。その後、新線の深坂トンネルも急こう配だったため、ループ線を新設して対処することとなりましたが、柳ヶ瀬線の利用者不足による慢性的な赤字、そしてループ化が1961(昭和36)年に着工される際、柳ヶ瀬線の路線をループ後に組み込むのには保安上・線路容量の問題があったため、1963(昭和38)年にループ線が完成した翌年5月に柳ヶ瀬線は廃止となりました。なお、柳ヶ瀬線に「疋田」駅があったため、現ルートの駅が「新疋田」駅と命名されています。

そんな大変な行程の結果、新疋田のすぐ北側には、山ひとつの周りを大きく一周する「鳩原(はつはら)ループ」と呼ばれるループ線があります。結局ループになったのは上り線だけでしたが、実際に乗車すると一度目にした敦賀の町並みが、一度消えてはまた現れるということになるようです。また、新疋田駅構内はカーブになっていますが、すぐ北側は長い直線の後に大カーブ(上りのみ)があり、その直線とカーブが繋がる付近に少し高台となっている場所があります。そこが鉄道ファンなら誰もが知っている有名撮影地(お立ち台)ですが、最近はそのお立ち台付近が立ち入り禁止になっていたりと、状況が厳しくなっていると聞いています。しかしながら無人駅の駅舎には壁一面に鉄道写真が張り巡らされており、綺麗に整理されているところを見ると、やはり鉄道ファンの聖地ということがよく分かります。

今は撮影が難しくなった場所も含め、過去に撮影した写真を掲載します。この場所は編成写真撮影に向いた場所で、ここでは既に無くなった車両を振り返るページになっています。但し、幾度か通っていたうちに、いつ撮影したものなのか分からなくなってしまったので、日付は入れていません。ネガフィルムが殆どですので、平成8~15年頃と思われます。